心臓について

昔々、こころは心臓にあると考えられていた。
身体の中心で、何やら独りでに蠢いているものに、
人という存在の本性を見ていた。

漢字の「心」は、心臓の形象文字でありながら、
人間の「中心」を表し、「こころ」を表す。
だからいまでも、「心」とか「heart」とか呼んでいる。

心身二元論が正しければ、「からだ」と「こころ」は独立である。
独立ということは、それぞれがバラバラであるということである。

しかし現実には、神経系や内分泌系、循環器系を介して、両者は互いに繋がっている。
心理反応が内臓や筋肉に作用し、身体反応が感情や意識に作用する。

「からだ」と「こころ」は同時に起こっている。

James-Lange説では、「悲しいから泣くのではなく、泣くから悲しいのだ」と説明する。
末端の神経系で起こっている情報が中枢(脳)に伝わることで情動が認知される。
つまり、自動的な情動反応に対して、身体反応をモニターできなければ、感情は自覚されない。

たとえば、心臓が正常な情動的反応をアウトプットできなければ、その感情を認識できない。

His Heart Whirs Anew - washingtonpost.com
/ 人工心臓と引き換えに、感情を失ってしまった男 (via Giz)

何かしらの意思決定をするときには、身体からのフィードバック情報が利用されると考えられている(ソマティック・マーカー仮説; Damasio, 1995)。ある情報処理において、違和感や快不快といった情動反応による身体的変化を指標としてオプションが選択される。

何かしらの情動反応が意思決定のヒントである。
つまり、「心躍る」世界に進むべき道がある。
重要なことは、「胸が高鳴る」そのことに気付くこと。

カテゴリ

トラックバック(0)

このブログ記事を参照しているブログ一覧: 心臓について

このブログ記事に対するトラックバックURL: http://www.mail-s.net/~toshizumi/mt-tb.cgi/3

コメントする

About this entry

This Entry is written by tosh!zumi(mars 22, 2008 2:05 FH)

Forward:因果関係と確率の修辞

最近のコンテンツはインデックスページで見られます。過去に書かれたものはアーカイブのページで見られます。

Powered by Movable Type 4.0

Random Photos

Booklog