椎名林檎女史の酔い潰れたりて、公演の始まらむとするに、担ぎ引き摺り申し上げ介抱し奉らむの夢見たり。げに不可思議神妙なるさまなれど、寝入る際に音の耳に入りなむかし。
外へ出たところをオリオン座に目撃されて、
うかつにもドキッとした。
たぶん、昨日のやっつけ仕事だったり、今日の怠惰だったり、
いろいろと浮ついていたりする諸々が、バレたのだ。
時間も無いくせに借りてきたDVDは、
ほとんど見ずに明日中に返さなければならない。
今から「明日に向かって撃て!」だけ見ることにします。
あと、今週号のうすた京介のことば遊びが秀逸。
暇を持て余した神々の遊び
最後にはレスポールじいさんまで飛び出す始末。
若い頃のブライアン・セッツァーがかっこいい。
既存のいかなる座標系によっても定位できない存在論的特異性、あるいはそれを含みつつ立ち現れる独自のヴァージョン(version)としての世界が、かえって認識論的優位性というもの自体を棄却しながらすべてを徹底的に相対化してしまうけれども、それにもかかわらず何らかの座標系によって服属的に定位されることでしか異なるヴァージョン(記号システム)に内存在できないから、誰もがコモンセンスに服従しながらあるいは服従しているフリをすることによって、世界(Uni-verse)という詞(verse)を共有している。
つまりは、いろんな人と連絡を取り合わなければならない。
(世界は文字通りことばによって構成されていく。)
鞄の中に世界制作の方法/ネルソン・グッドマン (ちくま学芸文庫)という本を忍ばせながら、ポスト言語中心主義による構成主義の方法を思索中。(上記の文章はグッドマンの思想そのものとはだいぶ違うものです。)
やばすぎる。
